私の家族はもういない。
もうすでに両親とは連絡とってなくて、姉とも疎遠になりそう。
父が一つ一つのことについて謝らない。無視する。
そのうち、期待するのも辛くてこちらも連絡先を消したけど、人には土下座させておいて、自分は逃げるのか、というのを、伝えても仕方ないのだけど、姉経由で伝えようとしたら(姉と父は連絡とれている)、姉から断られた。
前からずっと姉の方が恵まれていた、というよりまだマシな環境だったという思いが強かった。
姉が唯一通じ合える家族だったけど、この人にはまだ大切に思える家族で、大切な思い出もあるんだなと思った。
もう要らないと思った。
さっき日記を見返したら先月に、また度胸がなくて実行できてないけど、もう死にたいとかじゃなくて死のうと思って、遺書を書いた。
姉に向けた遺書で、書きながら、私が死んだら姉が一人になると思った。姉の大切な人も、自殺じゃないのかもしれないけど、10年経つだろうか、亡くなっていて、また姉が悲しむと思った。そうやって死なない理由を自分の中に探し出してる感覚はあったけど、父へのメッセージを伝えてもらえないとわかったとき、ああ、もう気にしなくていいんだと思った。
無敵な人が出来上がっていく。
ああ、もう死のうか、と思った。
まあでも死ぬよりは、どこか遠くにいってしまおうとも思った。
今月フィンランドに行っていたんだけど、行動力は身に付いたみたい。
どこか具体的に決めたり、仕事とかいろんな片付けにとりかかる気配はまだないけど、どことなく自分に挑発してみたりして、LINEをスマホからアンインストールした。そのくらいのつながりも断てなくて、死にたいの?どこか遠くに行けるの?
全部切ってしまうんだ。
姉と繋がっていることで両親と繋がることに懸念はあった。
最期のときだけ、同情を煽るような、面会を希望されたり、感動的なフィナーレのような謝り方されたり。
そんなことさせてやらない。
なんであの人たちのペースで思いに合わせないといけないの?いつまで私はあの人たちの家族ごっこに付き合わないといけないんだろう。
姉と切れた方が、両親とのつながりも経ててよかったけど、切れなかった。でも、もう切っていいと思える。
家の中でも恐怖が強かったし、親戚の集まりでも話すなと言われて、従兄弟たちとの関係が築けてなくて、最近になって祖父母の葬式で従兄弟と話すようになった。
家族のその周辺の関係は築けるんだ、という高揚感や、失われた交流を復活させよう、健康な人間関係をまねようとしたけど、それも、ただの憧れだったから、従兄弟の関係を切る方が姉の関係を切るより楽。
姉との関係を断つなら従兄弟たちとも関係を断つ。
家族はもういない。
他人は傷つけるけど、これ以上私のことをわかったように傷つけてほしくない。
フィンランド旅行の時も思いだしたり、記憶が重なってスイッチが入ってしまったみたいでつらくなることはあったし、関係を断って遠くに行っても、この苦しみは、呪いは、続くのは知ってる。
私がここにいる理由がなくなって、もっと絶望したら死んじゃうかな。
でもそれまでは。
最近思い出した、いろんなこと
少し放置してしまった。
ナラティブセラピーとして書くのなら、詳細に出来事を思い出して書く方が良いのだけど、いろんなことが噴出して、思いもぐちゃぐちゃだからとりあえず書いていこうと思う。
・手作りじゃなくて物が欲しい(幼稚園~小学生)
記憶も感情もぐちゃぐちゃで間違った記憶もありそうな気がするし、小学生低学年でブランドの財布をプレゼントしたと思ったら、過去のお小遣い帳みたら10000万円に満たなかったこともあるから若干の間違いはあるかも。
母は子供の手造りのプレゼントを喜ばない人で、本人もそれを明白に子供に伝えいて、お誕生日にお手紙か似顔絵かそんな類をあげようとしたんだけど、「え?そんなのは嬉しくない。物が欲しい。財布が欲しい。」って言われたような。買ったものが違ったとしてもすでに酷いんだけど。
たぶん、記憶違いがあったとしても、全然嘘じゃなくて、10000万円は超えなくても小学校低学年の5000円以上の物ってブランドものと変わりなかったんだと思うし、そういう小さなミスの範囲だと思う。
姉も、同じような体験をしていて、彼女は洋服をプレゼントしたっていってた。手作りとかそういの、いらないからって。
他の家みたいに、子どもができる範囲のこととか思いをくみ取ってほしかった。そういうのいらない、嬉しくないって言われても喜んでほしいからプレゼントしてた。させられてた。お小遣いも貰ってなかったから、お年玉から出してた。
お年玉も、「本来は親が付き合いをしてるからもらえるお金だから、渡さなくてもいいお金だけど渡してる」って言われてたし、子どもからみて高価なものをもらってもそれが当然なんだろうね。
幼稚園の時は母の似顔絵を描いてすぐに捨てられた。一生懸命描いたのに、振り返ったら捨てられてた。大人になってそのことを言ってみたら、「ママの怒ったところ」って言って角が生えた似顔絵を描いたからって言われたけど、その当時にすごく悲しかった記憶がある。自分の思い通りじゃないものは拒絶された。
・言うことを聞かないから、聞くまで腕を捻る(面前DV:幼稚園?小学生頃)
これは私に対してではないけど、父から母に。
私も母も寝てて、父は出勤前だったと思う。父が2階にある寝室に上がってきて、「健康診断を受けろ」と母に言っていて、母は受けたくないと言っていた。そのやり取りを何回かして、健康診断を受けないという母に父が手を捻った。「痛い、痛い」と母は悲鳴を上げた。受けろって言ってるだろう、みたいなことを言って、母が健康診断を受けるからって言ったら、手を放して家を出て行った。
私は手を捻って母を痛めつけたことに驚いて起き上がったけど、何もできなくて固まってた。
その日だっただろうか、しばらくして母とリビングにいたときに「〇〇(姉の名前)はパパを止めてくれるのに、あんたは見てるだけ。今日も見てるだけだった。」と言われた。
私も何もできない私、というのにコンプレックスを抱いていて、当時は確かにそうだなと思っていた。でもなんで、母は離婚したりその場から離れる選択肢もあったのに子供に守られることを前提としてるんだろう。まだ子どもなのに。
大人になって伝えたら、「え?〇〇(私の名前)が子どもなのに?子どもはそんなことできないでしょ。本当にそんなことを私が言った?」と言われる。
全体的に「(姉の名前)もそうだけど、やっぱり子供は記憶違いが多いね。」って傷つけるような言動をなかったことにされる。一つ一つ、謝ってもらえたら許せたのに、なかったことにされて、大人になってさらに傷ついた。
・謝ったのに許してくれない(父の言い分)
小学校から大学まで教育虐待があって、大学卒業時に授業も半分くらいしかいけなくて心身の不調がひどくなっていて、教育虐待について謝られたことはあるけど(そのほかの面前DVとかについては触れてない)、私は父が大学時代に住んでいた家に来るのもそもそも怖かった。職業の選択肢も狭められてたけど「自由にしていい」って言われたけど、心身の不調も来していて、変に学歴も高かったから逆に職業も選びにくくて、自由にしていいって言われても…。という感じ。
面前DVを繰り返し思い出して、父に過去の暴力がどれほどひどかったか、父は「(私)が謝ったのに許してくれてない」と母にこぼしたらしい。
教育虐待も面前DVも一回とかじゃなくて、後で書くけど幼稚園の時に土下座もさせられたけど、それを1回、「(教育虐待について)そんなつもりじゃなかったけど傷つけたみたいだからごめんね」、くらいでおさまると思ったの?面前DVの件は触れてないし。私はずっとずっと傷を背負って、何度も何度も思いだして苦しんでるのに。「なんかごめんね」を別のことで1回したのにしつこいみたいな扱い?
母は「嫌なことは忘れたら?」っていうけど、両親との傷ついたことやそれにタグ付けされた記憶をすべて忘れたら、家族との思い出ってほとんど残らない。
1年くらいしてSMSで謝罪は1回来たけど、そこに至るまでも、母に対して「お前が怒らせるから悪い」ってやり取りもして、また人のせいにして、文面的にも「喧嘩したところをみせてごめんね」って内容だったと思う。
その時に伝えたこと以外の出来事と、なんかごめんねで済まされてるのも納得できなくて、どれほど対人関係や心身の不調に悪影響があったか伝えると、また「謝っても許しくくれない」モードに入ってLINEも返事来なくなって、ブロックされたんだと思う。
自分がしたい教育を押し付けて、うまくいかなかったら、後は自分でなんとかしてね、で済ませて、自分がしてきたことの積みかさねで子供が苦しんでるのに、「謝っても許してくれない(謝る論点もずれてるし、1回謝ったら終わりという考え)」で被害者ぶって拒否ってる。
たぶん、死の間際とか時間を置いたらちゃんと考えることもできるのかもしれないけど、それまで私の傷は放置。両親のおままごとにずっと付き合わされてきて、父が怒らないようにふるまってきた。父は「(私)のことは殴ってない」って言うけど、それは父が我慢したとかじゃなくて、私が地雷をさけて、母が父を怒らせないようも気を遣って生活してきたから。お前の努力とか忍耐じゃないし、子どもを殴らなかったことは誇ることじゃないから。
大人になっても親のようにあの人たちに接しないといけないのか。あの人たちのタイミングを待たないといけないのか。私はいつまであの人たちの親でいないといけなんだろう。急に被害者ぶって、交流のあるいとこたちを巻き込んできそうでそれも憂鬱。
まだ思いだしたことはたくさんあるけど、疲れてきてしまったから休む。
家族という呪い。
「最後は家族しかいないのよ」
と言われて育ってきたけど。
家族に一番傷ついてきた。
「もう忘れたら?」
と言われるけど、何度も何度も思い出してしまう。
他の人と同じように生きれなくてつらい。
みんなみたいに簡単に受け流したり、人を信用したりできない。
人と繋がりたいのに繋がることができない。
リラックスするのがすごく苦手。いつも体もこわばってる。
「普通」になりたかった。
結婚に憧れたり、子どもを産むことを普通のことだと思いたかった。
親に感謝したりしたかった。わがままでごめんねって。
「普通」の家庭で育ってきた人たちは、過去は過去だって言うけど、これは呪いなんだ。
まず、記憶自体がつらい。何度も思い出す。
今目の前の出来事が過去の出来事と重なる。反応してしまう。でも、自分で、いつ反応してるのかわからない。健康的な人間関係がわからない。
私のなかは空っぽで、その感覚に耐えられない。絶望とか、恐怖とか、そんな感じ。
これは私のために書く。
書くことで記憶が統合されて反応が起きにくくするために。
同じような体験をしている人がこれを見て、少し励まされると嬉しい。
時々、トラウマ関連の書籍をみて私も、同じような体験をしている人がいると励まされる気持ちになるから、同じように誰かの助けになれれば嬉しい。
時間をある程度区切って、思い出したことを書いていこうと思う。推敲して書くわけじゃないから読みにくいけど、私のために書きながら、誰かのためになれると嬉しい。